ちらくism

千楽ではたらく人のために

ダンス! _ カイム

  ちらくism  
~支援において大事にしたいこと~

 千楽が大事にしている基本的な考え方があります。
「ちらくism」として14項目にまとめました。できるだけ簡潔に、誰にでもわかりやすくしました。矛盾するように思うところがあるかもしれませんが、それぞれに深い理念や支援論が込められています。

 千楽で働くスタッフに伝えていますが、すべてを完璧にやれる人はいません。
支援に迷った時には、ちらくismを読み返してもらっています

 会話とコミュニケーションを重ねながら、より良い支援を追求していきたいと
思います。

「ふつう」をモットーに

 障害があると何かと制約された生き方を強いられています。施設と自宅の往復だけの毎日、トラブル起こさないように、迷惑をかけないように……。
家族や先生や支援者からそう思われがちです。その方が支援する側が楽だからではないでしょうか。いつもそんな問いを自分に向けましょう。

福祉の中だけで囲われた生活は窮屈で息苦しいものです。障害があっても、本人が望むのであれば冒険や挑戦ができる人生に向けた支援をします。

できるだけ「ふつう」の生活を実現したいと思います。「ふつう」とは障害のない人であれば当たり前と思われていることです。迷ったときは、障害のない人ならどうなのか、自分ならどうしたいかと考えましょう。

あるがままを受け入れる

 目の前の障害者(利用者)をまずは、あるがままに受け止めましょう。
できないところに目を向け、課題を改善しようとする前に、それまでの人生を肯定的に受け止めましょう。困難な状況の原因を本人に求めるよりも、環境や支援のあり方を変えることを考えたいと思います。試行錯誤しながら障害者の変容を促していきましょう。

自閉症や知的障害に対しては科学的根拠の不確かな「〇〇療法」「△△メソッド」が現れては消えていく歴史があります。行動が落ち着いた、言葉をしゃべるようになった…などの成果が喧伝されますが、それで本人が幸せになったのかどうかは別です。

安定した生活を送らせられれば良いという支援者もいますが、人生には冒険も失敗も付きものです。喜怒哀楽に満ちた人生に寄り添い、一緒に泣いたり笑ったりできる支援者でありたいと思います。

子ども扱いしない

 知的な障害があるとできないことが多く、言ってもわからない場合があります。だからといって、子ども扱いをしてはなりません。

誰でも生きてきた時間の分だけさまざまなことを経験し、いろいろな人と出会ったり別れたりして苦労もしてきました。障害のない私たちが子ども扱いされたら不愉快なように、障害のある人を子ども扱いするのは失礼です。知的な能力では劣っている面があっても、それだけが人間の価値ではありません。

​呼び捨て、「君」「ちゃん」付けはやめましょう。親しみを込めているつもりでも、年下から「君」で呼ばれたら嫌な思いになりませんか? 利用者は年齢に関係なく、「さん」を付けて呼びましょう。慣れれば違和感はなくなります。障害があっても人間として尊重し、ひとりの独立した人格であることを忘れないために。

できるだけ「良い面」を見る

 千楽は福祉の場であり、家庭や学校とは違います。しつけ、教育、訓練は「できない」ところに着目して、できるようにしようと考えがちですが、千楽は障害のある利用者の「できること」「良い面」に着目して、それを伸ばすような支援を基本にします。みんなと同じようにできなくてもいい、という考え方が支援の土台です。

「甘やかす」というのではありません。過度な集団主義は障害のない子だって息苦しいものです。ひとりひとりの個性を尊重し、良い面を伸ばす方向に社会は向かっています。それを千楽は実践しようというだけです。

​障害があるとできないところが目についてしまいがちですが、それは自分の中にある障害をネガティブに見る価値観がそうさせているのです。重い障害があっても何か良い面は必ずあります。得意なものもあります。それを見つけて、褒めたり伸ばしたりしましょう。さまざまな個性が混じり合う、多様性に満ちた社会を実現したいと思います。

行動障害を本人のせいにしない

 大きな声を出してパニックになる、職員やほかの利用者をたたく、髪の毛を引っ張る、かみつく……。これらを「行動障害」と呼びます。

悪意があるわけではなく、わがままや乱暴な性格なのでもありません。音やざわざわした雰囲気や臭いなど、何か特定のものに対する感覚過敏があって苦痛や不快を感じるために起こすとされています。支援する人から見下されたり軽く扱われたりすることに対する「抗議」の場合もあります。

暴れる人を場当たり的に抑えつける、施錠した部屋に閉じ込めるなどの「身体拘束」は法律で禁じられています。本人や周囲の人を守るために抑えなければならない場合にはルールに従った方法で行います。(※)

​行動障害を「やっかい」な行為と一方的に決めつけず、環境や支援のあり方に何か問題があるのではないかと考えましょう。その原因を解明し、改善につなげるという科学的な考えこそが福祉の専門性に求められていることです。

困っていることに背を向けない

 行動障害は、障害者本人が困っていることを必死に訴えているのだとも言えます。言葉ないために暴れたり、自分をたたいたり、職員にかみついいたりするのです。

行動障害ではなくても、つらそうな様子を見せることがあります。いつも一緒にいると障害者が困っていることがわかったりするものです。家族に困っていることを訴えられることもあります。直接言われることがなくても、障害のある利用者や家族の24時間、365日を想像し、必要な支援をする姿勢を忘れないようにしたいと思います。

人手不足で支援する側に余裕がない、どうしていいかわからない、自分たちの法人には求められているサービスがない……。そんな時はつい目を伏せ、背中を向けたくなります。

​支援者があきらめてしまうと、障害者や家族は「見捨てられた」「見放された」と失望を感じます。今すぐには応えられなくても、自分にはできなくても、あきらめないようにしましょう。ほかの職員や法人の幹部と相談して、何とか困りごとを解消しようと努力しましょう。障害者や家族の話を聞いて一緒に悩みましょう。

「逃げる」ことが必要な場面もある

 パニックになって障害者が職員に向かってきたとき、体を張って受け止めようとすると逆にパニックを助長する場合があります。障害のある人も自分の感情や行動をコントロールできずに苦しくて暴れているのです。職員を傷つけると、それはそれで自責や自己否定の感情をもたらしたりします。

自分だけの個室やスペースに誘導してクールダウンしてもらうと、ウソのようにケロッとして出てきたりします。環境の制約で難しい面もありますが、職員が逃げられる場所を確保したり、障害者が逃げ込める場所を作っておいたりすることを考えましょう。パニックの渦中の障害者をさらに刺激しないため、「逃げる」(離れてクールダウンしてもらう)ことはとても重要です。

古い福祉はストイックなやさしさや忍耐を職員に求めがちですが、千楽では障害者も支援者も心穏やかに楽しく過ごせるよう、合理的に考えることを重視します。

生活の楽しみを大事に

 好きなものを食べる、お風呂にゆっくりと浸かる、好きなタレントの写真やポスターを大事にする、気に入った服を着る……。知的障害のある人の楽しみや生きがいは、障害のない人に比べてとても素朴で少ないものです。支援者から見たら取るに足らないように思えたとしても、その人にとってかけがえのないものとして尊重しましょう。

そう思えなかったとしたら、既成の価値観に支配されている自分自身を疑いましょう。「生活の楽しみ」はストレスの発散だけでなく、自己肯定感を育み、生活にゆとりや安心をもたらします。感覚過敏などがあり、生きにくさを抱えている障害者にとって、生活の中に楽しみをつくることは行動障害を起こさないための重要な要素でもあります。

​暮らしの場、日中活動における「楽しみ」だけでなく、余暇活動の支援も重視します。

できるだけ具体的に指示する

 「ちょっと待ってください」「しばらく我慢しましょう」などの抽象的であいまいな言い方は、知的障害や自閉症の人には理解しにくいと思いましょう。「5分後にやりましょう」「全員がそろったら食べましょう」と具体的に提案(指示)してください。

「そこに置いてください」「あちらに行きましょう」など指示代名詞ではなく、「テーブルの上に置いてください」「1階の出入り口に移りましょう」などと具体的な場所を示してください。

話し言葉よりも、絵や写真を示して説明する方が自閉症や知的障害の人にはわかりやすいとされています。できるだけ現物を見せながら説明すると、さらに理解しやすくなります。

​ただ、コミュニケーションの特性は人によって千差万別です。その人に伝わるコミュニケーションを模索し追求していきましょう。 

ルールを決めることも必要

 障害のある人がやることは何でも受け入れろ、ということではありません。危険なこと、ほかの人に迷惑なこと、本人のためにならないことはやめてもらわなければなりません。

「~はダメ」「やめてください」という否定的な声掛けではなく、「~をしましょう」「こちらに来てください」という肯定的な促し(代替案の提示)をすることを基本にしましょう。

​支援者によって対応が異なると障害者は混乱します。日常的に多くの時間を過ごしている家族と相談し、職員間で話し合って一貫したルール、支援方法を模索しましょう。

待つことを基本姿勢に

 ゆっくり時間をかけると、知的障害があっても理解できることがよくあります。注射や散髪などを嫌がっても、落ち着くまでじっくり待つと、なんとかやれる場合が多いものです。知的障害の人の特性として、理解したり納得したりするのに時間がかかるということがあります。

一般の社会がスピードアップしているので、私たちは「待つ」ことが難しくなっています。むりやり世間の時間の流れに合わせようとすると、障害のある人は混乱して行動障害を起こしたりします。支援する側が自分の時間の流れではなく、障害のある利用者の時間の流れに合わせる努力をしましょう。

​一つ一つ確認しながら、納得感を持ってもらうよう努めましょう。障害者と支援者の信頼と安心は、「待つ」ところから生まれます。

「どうしたいのか」をいつも考える

 何を食べるか、どの服を着るか、休日をどう過ごすか……私たちはいつも無意識のうちに何かを選択して生きています。障害のある人の場合、言葉がない、意思表示をしないために、何ごとも家族や職員が決めたりしています。

本人は「どうしたいのか」をいつも考えることを大事にしましょう。いわゆる「意思決定支援」です。

わかりやすく情報を提示し、さまざまな体験をしてもらい、ゆっくり時間をかけて選んでもらう、わからなくても顔色や仕草で本人が望んでいるものを見つけようとする。それを繰り返していると、障害のある人の思いが何となくわかるようになります。

わからなくても、謙虚に辛抱強く「どうしたいのか」を考え続けることが大事です。感情と経験の共有は「意思決定支援」に欠かせない重要な要素です。

家族の気持ちを理解する

 「預かってもらっているだけでありがたい。少しくらいのことはいいですから」と過剰におもねる家族がいます。何かとクレームをつけてくる家族もいます。障害のある子が生まれたことで、親族から冷たい目で見られ、隣近所や同級生の父母たちから小さなことで文句を言われてきた経験が家族にはあります。きょうだいも肩身の狭い思いをしています。

そうした経験が家族にそのような言葉や態度を取らせているのです。言葉や態度よりも、その根っこにある屈折した心情に目を向けましょう。

​私たちが支援するのは障害のある本人であって、家族ではありません。しかし、家族と同居している障害者の場合、日常生活で最も長い時間を共に過ごしている家族の存在はとても重要です。家族の安心や信頼を得ることが障害のある本人の生活の質を良くすることにつながります。

失敗は誰でもする

 転ばないように外遊びをさせない、ほかの利用者をたたいたりしないようカギのかかった部屋に入れておく。そのような自由の制限はできるだけ避けるようにします。失敗しなければ学べないことはあります。取り返しのつかない失敗にならないよう気を付けながら、自由や挑戦を大事にしたいと思います。

それは支援者も同じです。ミスをしてしまった、障害者に嫌な思いをさせたり傷つけたりしてしまった。そんなことは誰にもあります。どんな優れた支援者でもベテランでも、障害者のことについてはわからないことばかりです。ミスや権利侵害の芽を恥じるのではなく、それに気づかない感性の鈍さ、過信や傲慢さを恥じるべきです。

​小さな失敗に気づける謙虚さ、おそれ、繊細な感性を大事にしたいと思います。失敗した時は、できるだけ言葉にして他の職員や管理者に伝えましょう。自分だけで抱え込むと心が重くなります。千楽は、失敗を共有できる勇気と謙虚な気持ちを大事にします。大きな虐待にエスカレートさせないためには風通しのよい職場の風土が必要なのです。 

千楽が目指すもの

 浦安市は人口17万人、東京に隣接した人口密度の高い街。行動障害がある人
を支える福祉がないため、重度障害者は遠い入所施設へ送られることが多いの
が実情です。経済的には恵まれていても隣近所の付き合いがない人が新興マン
ションには多く住んでいます。孤立や疎外による潜在的な困窮者が多く、10年後には急激な高齢化が進むことが予測されています。

この浦安で障害者支援をしている千楽はこれから次のことを目指しています。

重度の障害者が街で暮らし続けられるための支援の構築

孤立や疎外などが原因で、制度の隙間にある困窮者を支える街づくり

こうした活動を持続・発展するための人づくり

福祉の現場から社会の価値観を変える文化の創出

ご支援のお願い